消えた野本家の仏壇
野本恭八郎をご存知でょうか?
第六十九国立銀行取締役、新潟県会議員などをつとめ、身を成した野本恭八郎でしたが、彼の想いは郷土、社会、世界平和へと広がっておりました。
「互尊思想」という独自の思想を唱え、私財を投じて互尊文庫を建設し、この互尊文庫は図書館として今日も長岡市民に利用されています。
「互尊思想」とは、宇宙で唯一の存在である自らを尊ぶ(独尊)とともに、他人も尊重(互尊)して幸福な社会を築こうとする思想です。
彼は山本五十六をはじめ、長岡出身の人物に大きな影響を与え、陽明学者の安岡正篤とも深い親交がありました。
また、十一月三日を文化の日とし、富士山を国立公園とする活動をしたことでも知られています。
JR長岡駅東口から少し歩くと豊かな森の中に日本互尊社が管理していた如是蔵博物館があります。
如是蔵とは仏教で知恵の蔵という意味。野本翁はここにあらゆる文化財や人間の歴史に関する物品を集めようとしました。とりわけ長岡の生んだ人物にこだわりがあり、山本五十六ゆかりの品が多く収蔵されています。
今年1月この如是蔵博物館が市に寄贈されることとなりました。
ところが如是蔵博物館の庭園にある茶室には、野本家のお仏壇があり、市はその引き取りができないとの返答があったようです。
そこで菩提寺のご住職より相談があり、「とっと」桜井がお仏壇の確認に伺いました。
野本家のお仏壇は職人の技と魂を込めた素晴らしさ。初めてその仏壇を見た桜井は息を飲む思いがしたそうです。
実は野本恭八郎には六人の子がおりましたが、その全てが夭折しています。
当時としては珍しい愛妻家で家族を大切にしていたと云われる野本の深い深い哀悼の想いがこの御仏壇にはこもっていたのです。
桜井は「このお仏壇をよろしく頼む」と偉大な先人から託されたように感じ、これを保存していこうと決意しました。そこで、お仏壇を引き上げる時がきたら連絡を頂くこととなりました。
ところが待てど暮らせどお仏壇引き上げの連絡がきません。
そのうち、あろうことかお仏壇が処分されてしまったとの噂を聞き、あわてて互尊社の担当者、市役所の課長、歴史博物館の学芸員の方に問い合わせを致しました。
どちらに問い合わせてもお仏壇の行方は判然としません。どうやら本当に処分されてしまったようです。
残念な想いからこのお仏壇の写真を名古屋城の文化財も手掛けた方にメールでお送りしました。すると「こんなに凄い仏壇が長岡に残っているとは!」と感動され、わざわざ名古屋から来店されました。
このお仏壇が今どうなっているのかわからない旨お話すると、非常に悔しがり、このお仏壇の素晴らしさについて職人の目線で説明してくださいました。
聞き取った内容は以下の通りです。
・板戸について
欅の板戸はこの厚みだと通常くるいが生じてきます。しかし、この欅は数十年に渡って寝かせていた材料を使用していたのでしょう。少しのくるいもありません。今、このような最高品質の材料を手に入れることは不可能でしょう。
・彫、面金
仏壇に施されている彫の素晴らしさは説明するまでもありません。通常の金仏壇にみられるような箔をペタペタと貼っていくのではなく、面金をほどこし洗練されたデザイン性と匠の技が融合しております。
「写真を拝見しただけでもお仏壇の力を感じます。本物を是非拝見したかった。本当に仏壇が処分されているなんてそんな罰当たりなことをする人がいるとは!」と絶句しておられました。
また、「長岡にはケタ外れの人物がいたのですね。これだけの仏壇を作らせる目利きがいたとは!」ともおっしゃっていました。確かに米百俵の精神は長岡から人物を次々と輩出いたしました。
このお仏壇は長岡の「人づくり」「ものづくり」の偉大さを伝える象徴となったことでしょう。
現在の長岡が、先人たちの長い年月をかけた営為の上に成り立っていることに、私たちはもっと心を配り、想いをよせる必要があるのではないでしょうか?