長岡市福島閻魔堂・貞心尼様像建立によせて

とっと・とっと とつながって・・・つなぐ、つなごうの合言葉はみんなの幸せを願って明日の笑顔につなぐこと・・・・
私達「とっと」の名前に込めた想いです。
「とっと」が生まれた十年前、私の頭に浮かんだ良寛様の詩

“つきてみよ 一二三四五六七八(ひふみよいむなや)九の十(ここのとを)十とおさめて またはじまるを”

この句に支えられ、私達はこの十年、皆様のご縁をつなぐお手伝いを懸命にして参りました。
そして奇しくも十年目のこの春、良寛様の愛弟子・貞心尼様の像が長岡市福島町閻魔堂前に建立される運びとなり、そのお手伝いをさせて頂いたのです。
これは長岡良寛会会長・安達様の肝いりで実現し、私達に貞心尼様の面影を伝えてくれます。

貞心尼様との記念撮影

良寛さまの思い出

昔、明治生まれの父が家に帰ると近所の“木澤の金ショ”が茶の間に上がりこみ釜の飯を食べていました。彼は地域でも有名な“物もらい”。(今風に言うと生活困窮者となるのでしょうか?)

金ショは父と目が合うと大慌て!しかしうろたえる金ショに父は「あちこたねぇ、あちこたねぇ」とやさしく言って「にぎり飯と米と金、どれが欲しい?」と金ショに尋ねたそうです。

すると金ショはおずおずと「みんな欲しい」
父はそれを聞いて大笑い。「この男は生きるすべを知っている」としきりに感心し「おーい!おーい!」と母を呼びました。そして母に握り飯をつくらせ米とわずかな金をやったとか・・・ 母は「お前さんばっかしゃ!良寛さまみたいな人らて!」とあきれ、その思い出話を私達によく聞かせてくれました

猫だって食べたいこて

良寛さまは庄屋さんの家を訪れ、勝手にご飯をいただいていたそうです。すると家の人から「良寛さま、ご飯を食べてもいいが、おひつのふたをしてください。猫が食うとわるいから」と言われました。すると良寛さまは「猫だって食べたいこて」と言いました。小さな命を心から慈しんだ良寛さま。

その人となりは父の思い出と共に強く私の心に印象付けられたのです。

椿の森倶楽部会長・小林公司様と

良寛さまゆかりの椿の森

長岡市旧和島村にある龍田・熊野神社、良寛さまともゆかりのあるその地を「癒しの里」にしようと取り組まれている椿の森倶楽部会長・小林公司様。
良寛さまをこよなく愛する小林様とのご縁で良寛様句碑の看板を作成させていただきました。

何もかも偶然かもしれませんが、遠い昔から見えない力でつながって、つながって・・・ちょっぴり不思議で懐かしい良寛さまとのご縁です。

株式会社とっと 代表取締役 桜井カツエ

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